私のストーリー⑩ 学校休みたい
小学校3・4年生の頃の記憶が少ない
楽しかったこともあったはずなんだけど
一番記憶にあるのは担任の言葉
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私のストーリー⑩ 学校休みたい
小学校低学年のことは覚えてませんが
少なくとも4年生以降
風疹など出席停止になったのと
中学受験日(公欠)以外は
学校を休んだことはありませんでした
私の子供の頃は
時代なのか母の方針なのか
風邪っぽくっても
熱を測るなどとほどんどなく
「子供の風邪は走り回って遊んでるうちに治る」
そんな風に言われたように思います
確かに、さっきまで元気に動き回ってたのに
ちょっとしんどいからと熱を測り
37度を超えてると分かった途端
急にしんどくなって動けなくなる
そんな経験は何度かあります
大人になってからの話ですが😝
とにかく9歳か10歳くらいからは
ほとんど熱で寝込むことはなく
学校も休むことはありませんでした
というか、
学校を休むという発想が
ありませんでした
ただ一度だけ
学校行きたくないと
泣きわめいたことがあります
4年生でした
ちょっと話がそれますが
私の母は趣味で20代の頃から
最近まで日本舞踊を習っていました
昔は先生が家に教えに来てくださってて
私が2~3歳くらいの頃に
母が私にも習わせようとしたしたのですが
嫌がったのだとか
そして4年生の時
習うことになったようです
ほとんど覚えてない私(^_^;
おさらい会
大広間に舞台があって
みんなは広間の畳に座って見る
多分生徒さんとその家族だけの
小規模だったと思います
それに私も出してもらうことになり
当日はお化粧もしてもらいました😍
初めての化粧! 舞妓さんみたい✨
しかもお気に入りのピンクの振り袖を着せてもらえた💖
当日はテンション高く
ルンルンでした ←多分 笑笑
なんか嬉しかったなぁとだけ覚えてます
さて、翌日は月曜日
また一週間の始まりです
朝起きてきて
大変なことになってたんです!
きゃー なんてこと
顔が真っ赤に腫れている~😱
そう、化粧かぶれをおこしてしまったんです
当時は下地クリームとか
パッチテストとか
なかったんでしょうかね💦
母は普段化粧っ気はなく
化粧についても詳しくなかったと思います
私の顔を真っ白に塗ってくれたのが
誰なのか 何をぬられたのかも
覚えてません
ただ、顔中が真っ赤に腫れていて
恥ずかしくって
こんな顔で学校には行きたくないと
朝から泣いわめいたことだけ
鮮明に覚えてます
顔が腫れたとはいえ
熱があるわけでなく
体は元気そのもの
当然休ませてもらえるはずもなく
母は赤いランドセルと一緒に
私を家の外へとつまみだし
鍵をかけてしまいました😢
ドアを叩こうが
泣き叫ぼうが
家に入れてもらえるはずもなく
私もしばらく粘ってみたものの
とうとう諦めて
とぼとぼ学校へと向かいました
そのときは母は
どんな気持ちだったのでしょう
顔が腫れたくらいでへこたれるな
そんな気弱なことでどうするの
そんなところでしょうか
6歳の時に自身の母親を
病気で亡くした母ですから
自分の身に「もしも」のことがあったとしても
私がたくましく生きていけるようにと
願ってたのかもしれません
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