私のストーリー㉗ 東欧のおじいさんと恩送り

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私のストーリー㉗ 東欧のおじいさんと恩送り

東ヨーロッパへ行きたい!

イギリスへ向かう前からそう思ってたので

地球の歩き方 東ヨーロッパを購入し

イギリスへも持っていきました

 

日本に帰ってしまったら

東ヨーロッパへ行くのはまず無理だろう

行くなら今だわ!

 

1週間のひとり旅を計画してたら

違うクラスで学んでいたタヅコが

私も連れて行って欲しいと言ってきた

 

あまりしゃべったことなかったけど

ふたり旅の方が都合よいことも多い

せっかくならと2週間行くことに

 

慎重派の私と違い

8歳上のタヅコは思いがけない言動に出る

凸凹コンビ

 

1987年2月

まだベルリンの壁が健在だった頃

私たちが訪れたのは社会主義国家

ハンガリー、ルーマニアー、ユーゴスラビア、

ブルガリア、チェコスロバキア

 

ハンガリーは西ヨーロッパからの旅行者が割と多く

観光客慣れしている感じ

ユーゴスラビアやチェコスロバキアも

まあまあ旅行者が来ていた

 

どこの国でも東洋人は珍しく

通りがかりに

「テンプラ」「スシ」なんて

声をかけられることも

日本語少し知ってるよという

歓迎の挨拶だったんだと思います

 

道で地図やガイドブックを広げると

遠巻きにこちらの様子を伺い

勇気ある人が私たちに声をかけたら

一斉に集まってきて取り囲まれたり

 

どこ行くのかな?

大丈夫かな?

何か手伝えることあるかな?

そう思いながらも言葉の不安があって

遠巻きで様子を伺ってたみたい

 

ここにいきたい!って地図を指さすと

あーだこーだと議論が始まることも(*^-^*)

 

「そっち方面の電車に乗るから

私が連れて行ってあげるよ」

「じゃあ、よろしく」

みたいな会話が(多分)行われたり

 

電車やバスを何度か

乗り換えないと行けないときは

乗り合わせた乗客に次々にたすきを渡され

私たちが迷わず目的地に行けるように

繋いでくださったり

 

本当に沢山の親切をいただきました

 

旅行中は本当にいろいろありましたが…

中でも今も心に引っかかっていることが

 

あれはルーマニアの田舎町だったかな?

ルーマニアではフランス語は話せるけれど

英語は分からないと言う人が多く

私たちはフランス語は分からない(^_^;

 

手振り身振りや地図を見せながら

行き方をたずねると

おじいさんが手招きしてくれた

 

路面電車に乗ってしばらく走る

これってどうやって乗車賃はらうのかなー

二人で話してたら

おじいさんが回数券みたいなのをちぎって

二人に渡してくれた

 

何か話しかけられるけど

よく分からない

 

あれやこれやとあまりに親切すぎて

返って怖くなってくる

 

どこか変なところへ連れて行かれちゃう?

非合法に米ドル交換要求される?

それ、見つかったら私らも捕まるよねー💦

 

いつもの心配性が始まって

どんどん不安が募っていったとき

降りるよ、って手招きされ

あっちねと指さすと

おじいさんさっさと歩き出して行ってしまった

 

とっても親切な方だったんだ

本当にいい人だったんだ

私たち二人の乗車賃まで払ってくれた

 

それなのにその親切を

素直に受け取れなくて

返って怖くなって疑ってしまった

お礼の言葉もいう間も無く

行ってしまったおじいさん

 

本当に失礼しました

何度も何度も心の中で

失礼を詫び

ありがとうをつぶやきながら

目的の地へ向かっていったのでした

 

おじいさんに受けた恩を返すことはできないけれど

せめて困っている人に手を差し伸べることで

恩を送ることができたらと

 

京都にお越しの外国人を見かけると

May I help you?

どうされましたか?

お手伝いできることありますか?って

声をかけずにはいられません

 

誰もがスマホを持つこの時代

大丈夫よって返事の方が多いですが

たまにお役に立てると嬉しくなります💕

 

私のストーリー㉘へと続く

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